久遠寺条目
久遠寺条目
くおんじじょうもく
武田家滅亡後、甲州(山梨県)を領した徳川家康が天正一六年(一五八八)一一月に身延山久遠寺に下した条目。
徳川家が本宗の一門流に下した最初の寺院法度である。
その後徳川幕府成立後、幕府は各宗々に寺院法度を下して仏教統制に努めたが、久遠寺には元和二年(一六一六)に身延山法度を下している。
しかし日蓮宗全体にわたっては受不施不受不施の争論がその主な原因となってなかなか制定することができず、寛文五年(一六六五)七月の四代家綱による諸宗寺院法度の制定に至るまで法度を下すことができなかった。
さてこの久遠寺条目の内容は、(1)寺中門前の殺生禁断竹木免許、(2)諸役免除、(3)大坊僧坊被官のほかは寺家中を歩きまわらせたり俗家の権威を借りてはいけない、(4)甲斐国中末寺は住持上人のはからいであること。
もし寺僧末寺が本寺に対して不義を企てたならば大坊より追放し国中許容してはならない、(5)会式関免許、の五条である。
この条目によって久遠寺は末寺及び門前町の統制を堅め、会式関免許の特権をも確認されたのである。