本教院流
本教院流
ほんきょういんりゅう
この祈祷の流派は日蓮宗の祈祷の流派ではなく、本宗信徒の岩城日正が明治の後期に創唱したものである。
日正は千葉県中山町の人で岩城孫次郎(幼名鉄五郎)という。
明治二〇年代に正中山境内の竜王池に入って神示を受けたとして本教院と号した。
明治三〇年代自ら「実大乗寿量本教院」教長となり大僧正岩城日正と称し「修験道法華経加持祈祷法」と名付けた祈祷法を唱え、望む者に伝授したが、これが後に「本教院流祈祷法」と呼ばれ大正時代山梨県身延町の奥、醍醐の滝に籠って門弟信徒を養成し、盛時は彼に師事するもの三〇〇〇人を超すといわれる程の流行を見た。
昭和一三年(一九三八)六月六日東京北区滝野川一里塚の教会で寂し、池上本行寺大坊に葬る。
この流の伝書は日正自身が他派のを参照して作製したもので初行より十行迄あって、いずれも「表相伝」「裏相伝」がある大部のもので、この他に秘伝若干がある。
この流の秘事は「秘妙符」にあって、その伝授は規定の本数の手蝋を焚いて受ける由である。
現在は殆ど絶えている。