日要(顕是院)
日要(顕是院)
にちよう
(一五七五-一六二三)
顕是院と号す。
身延二二代心性院日遠の門人で智行の誉れ高く、やがて正東檀林の講主となり、京都妙伝寺主を経て甲州小室妙法寺に住していた。
元和元年(一六一五)日遠が二三世日祝の没後に再度の身延晋山をしたが程なく退するに際し、日要を招いて身延二四世を嘱累した。
日要は師命を承け元和二年に晋山し、元和四年には加、越、能三州の太守黄門利常卿の母堂寿福院日栄夫人の外護により五重塔建立に着手、翌五年一〇月に竣成、一一月三・四・五の三日間立塔供養をした。同年、奥の院祖師堂同拝殿も同夫人の外護により建立されている。
同七・八の両年に亘り、日要は諸国に勧財して日伝建立の祖師堂の屋根替えを行った。
また同七年には鶯谷の上に通本橋・回廊を架した。
日要は西洞院時直卿と道契厚く、その子梅松麻呂を弟子としたのが、山科檀林の開山・法性院日勇である。
日要は元和九年、四八歳で寂した。
《『日本仏教人名辞典』「日要」の項》