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日揚(兵部阿闍梨・真間弘法寺)

にちよう #2698

日揚(兵部阿闍梨・真間弘法寺)

にちよう

(-一三一四)
中山法華経寺貫首の日常から依嘱を受けて、真間弘法寺別当
弘法寺の法灯継承次第については、江戸代初期から異論がある。
日感の著した『当山興起』にはこのことを論じ、日揚を第四祖においている。
ち、「第一法主聖人、第二日高、第三日樹、第四日宗」とする中山法華経寺の主張に対して、日蓮聖人を初祖に置きながら、日頂、日常、日樹という相承関係を主張している。
日揚の真弘法寺における世代の問題は一応擱くとして、彼が当寺に住したことは確実である。
日揚は兵部阿闍梨と号しており、中山法華経寺文書所収の「日常置文」永仁七年(一二九九)三月四日に、この事実を認めることができる。即ち、この置文の文字に「弘法寺においては、兵部阿闍梨(日揚)に申し付け候」とあって、中山門流における日揚の立場をよく窺うことができる。
日親の『伝燈抄』によると「真御代官は、日樹・日宗・日満と次第せり」とあるが、日揚を誤って書き落としたのであろう。
ただ、真弘法寺の貫首が「御代官」と称されていることは重要である。
日常置文によると法華寺とその本尊聖教は日高に付嘱し、弘法寺は日揚に申しつけており、教団の指導者たちはいずれも日高と俗別当の及河七郎の命に服しなくてはならないと定めている。
弘法寺における日揚の立場は、法華経寺貫首日高の代官であり、その命令を受けなくてはならないものであった。
日揚については、この程のほかほとんど知る術を持たない。
ただこれからもなく、真弘法寺の代官職を日樹に譲っている。
なお日感の『当山興起』『真山濫觴記』などの書には、いずれも日揚を「日陽」と書いている。

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