日恩(大雄院)
日恩(大雄院)
にちおん
(一五五一-一六二九)
字は鉄鼠、大雄院と号す。日尊門流の京都要法寺の第二二世。
初め下総飯高の玄講を務めたが、その後は和泉の国の堺に居ながら廻国の弘通に当った。
説法の達者でもあり、その座数は始終三五〇〇余という。
天正一八年(一五九〇)、関東より帰洛の途次、身延に滞在すること八○日に及んだが、その間、時の貫主一七世日新に古文を講釈し、六月二五日の万部読経の結日には、大衆のために一座の法談を行なったことからも、その学識弁才と道風がうかがわれる。
その時、日新は身延に伝わる日興の書写に係る『始聞仏乗義』を、感服のあまり贈って法労を謝した。
日恩はこれを要法寺におさめ常什としたが、その寄進状には、「南泉津新住本寺開山大雄院権大僧都日恩」の名をもって、件のことなどが記されている。
師の日性の信任あつく、慶長一八年(一六一三)一〇月一二日の遺言によって二二世嗣法となり、元和六年(一六二〇)引退、寛永六年一一月二三日没。
寿七八歳。