妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日延(大聖院)

にちえん #2618

日延(大聖院)

にちえん

(-一四四四)
大聖院と号し幼にして妙覚寺七世日世のもとに投じて勉学に努め、長じて関東に下り諸山を遊歴して見聞をひろめ、応永二〇年(一四一三)のころは師日成のもとにあって妙華日遵(妙覚寺八世となる)と共に師をたすけ応永新条目を制し、強義折伏と不受不施堅持を標榜し妙覚寺化儀法則を確立した。
門流、門派は互いに対立・抗争し、嫡庶、正閏、傍正を争ったが、中でも身延七世日叡と中山四世日尊は七条法服着不着について論争し、かつての両山の親交は全く忘れられてしまった。
日延はこれを嘆き、諸山の和融、とくに両山の交誼の回復を切望して種々に奔走し、「中山身延と和睦するためならば日延は頸を切られてもよい」とまで語るほど和融を望んでいた。
その嗣眞如日住は、師の意志を継いで和融斡旋に身命をそそぎ、遂に寛正七年(一四六六)二月寛正盟約を結んで諸門流和睦をなさしめ、更に身延中山の和融も成就させた。
日延は妙覚寺九世、本覚寺を創し大覚妙実建立の旧趾紀州妙台寺を再興している。
《日住「與中山浄光院書」『宗全』一八巻、立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、『日本仏人名辞典』「日延」の項

← 事典トップ