日尚(凌雲院)
日尚(凌雲院)
にっしょう
(生没年未詳)
江戸後期の人。凌雲院と号す。
了義院日達(一六七四-一七四七)の門に学んだ碩学で金沢高岸寺に住した。
日達門下の智観日顕・智朗日賢らと共に権実論争の衝に当り、著書『如来師子円絃』四巻をもって浄土宗・真宗との筆戦に権実批判の研究を発表した。
当時、飯高檀林と中村檀林とは飯高が観如日透の教学を継承して台学に終始し、中村は了義日達の宗学尊重の学風をもって対立していた。
また他宗との権実論争において、とりわけ、元文より寛政の初め(一七三六-八九)に至る約五〇年間、真宗の義教・浄土宗の大淑・大我・定月らが本宗教学を批議したのに対し、凌雲日尚は日顕・日賢・弁成日暁・等樹日選・塵外日生などと共に防戦に努めた。
日尚の門人の大川日淙は日尚の『如来師子円絃』四巻を増補して一一巻となし、更に『円絃国字塔』一巻を付して寛政四年(一七九二)に刊行し定月に酬いた。
日淙の付言によれば前編の四巻八冊と第一一巻は日尚の遺稿で、五巻より一〇巻迄が日淙の作、共に寛政四年一一月の開板とある。
《『日本仏教人名辞典』「日尚」の項》