にちじつ
(一六二五-九八)
覚性院。
京都真如寺第二世。大坂難波の生れで、生家は代々医者であった。
日実は生れながらに病弱であったため、世俗を厭って専ら俗身に仏道を修していた。
のち出家して身延山三〇世寂遠院日通に師事し、飯高、身延、池上等を遊歴し日通開山の真如寺に住して二世となった。
日実は生家で学んだ医学を大いに役立てて、修法・投薬の両方を用い、霊験あらたかであったと伝える。
元禄三年(一六九〇)法華経書写を志し、三ヵ年間かけて一花一香一字三体の書写をなした。
元禄一一年正月一四日寂。
享年七四歳。
《宮崎英修『日蓮宗の人びと』、『日本仏教人名辞典』「日実」の項》