日友(中正院)
日友(中正院)
にちゆう
(一五七〇-一六一九)
池上・比企両山一五世、中正院と号す。
上総国武射郡湯坂村で生れ、姓は大野氏。
身延山一七世慈雲院日新が藻原妙光寺に在山の頃、そのもとに投じて出家した。次いで飯高檀林に入り、多年の研鑽をつむ。
慶長四年(一五九九)に飯高二代の化主、法雲院日道が身延一九世に晋董した。
主を失った学徒たちは一山で協議し、当代随一の学聖として名高い京都本満寺山立の一如院日重を招請することに決め、日友はその使者に選ばれた。
日友は直ちに上洛し、日重に謁して化主就任を懇請したが、老齢(五五歳)を理由に辞退され、日重は名代として二八歳という若年の弟子、心性院日遠を推薦した。
日友は二歳年少の日遠と論談して、その非凡な逸材であることを知り、自ら弟子の礼をとって飯高三代の化主に推戴した。
のち日友は飯高七代の化主になったが、元和三年(一六一七)に両山の猊座に迎えられる。
在山二年、不幸にも池上の客殿・方丈・庫裡・月牌堂などを焼失、この年の六月一四日、五〇歳をもって遷化した。
著書に『法華玄義捃釈』『文心解私記』『顕性録私記』などがある。
《『本化別頭仏祖統紀』、『池上本門寺史管見』、『飯高寺文書』、『日本仏教人名辞典』「日友」の項》