日健(弘経寺)
日健(弘経寺)
にちごん
(生没年未詳)
弘経寺、その伝は詳らかでない。一如院日重の『見聞愚案記』には「弘経寺日健は現師に随従して学問し玉ふ」(巻三)とある。
日健の著書に日源に触れる記述が多いところから「現」は「源」のことで正行院日源に従学したものと考えられている。
また日住の『本尊抄見聞記』に「為日健日會両人令講之者也」(奥書)とあることなどから、本覚寺日住にも学んだことがわかる。
このように日健は文明から永正年間にわたり、京都にあって活躍した。
日蓮聖人遺文を註釈した『御書鈔』二五巻は『健鈔』とも称される。
文明五年(一四七三)、日住より『本尊抄』の講談を受け、更に『祖書録外』を写本(近時京都深草瑞光寺から残欠七冊が見出された)しており、『御書鈔』講談の永正年間(永正三年=一五〇六=に始まる)は弘経寺の主座であったと思われる。
『御書鈔』は日健を中心に立本寺日禘・妙顕寺日能・常寂院日耀らの講談に係り、祖書一四七篇を註釈する。
第三・四・八巻の三巻以外はすべて日健の講述である(ただし、五・六・七巻は日禘や日能との共述)。
これを聴聞し筆録したのは立本寺の円乗坊日泰(後の尊像坊日福)であろうとも推測されているが定かではない。
《『日本仏教人名辞典』「日健」の項》