三澤流
三澤流
みさわりゅう
静岡県富士宮市、弘法山三沢寺第六世貞光院日富は身延山荒行の祖仙応坊日慧(積善坊日閑の師)について身延山、七面山に練行し修法成就したが、その後を受けた同寺第一〇世勧持日相(-一六八七)は、寺門移転に当って感ずるところあり承応三年(一六五四)一二月、七面山に登り積善坊日閑の指導を受けて一千日の苦行を成就し、また諸家の秘極も相承し遂に法華経二八品にならい自己の体解した極意を「三澤相承」として、二八箇条にまとめ目録を作って三澤流という祈祷の一派を創立した。
日相が延宝三年(一六七五)に江戸最教寺惣持院日遶に授与した修法曼荼羅は、この流独自のもので、その裏面に三箇条の起請文が書かれている。
現在目録と共に玉沢妙法華寺に蔵。
日相は鳥取の大守松平伯耆守綱清の悩乱を祈って験功あり、爾来因州松平家の帰依厚く、大守の参勤には随待し江戸大久保の法善寺を出張所としてその外護に応えたという。
法善寺に在った修法要具などは大正の大地震と今時戦災により焼滅したという。
日相は「経は醫書、法は良薬、現当の諸病の治するは信を取るべし」といっている。