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三条の教則

さんじょうのきょうそく #184

三条の教則

さんじょうのきょうそく

明治五年(一八七二)四月二八日発布。
皇道宣揚体擁護の思想のもとに民を指導すべき基本とされたもので、(1)敬神愛の旨を体すべきこと。 (2)人道を明にすべきこと、(3)皇上を奉戴し朝旨を遵守せしむべきこと、の三条からなっている。
神官をすべて教導職に補し布教に専念させ、僧侶側も同じように教導職になることを許され合同布教が行われた。
ただ三条のみでは簡潔すぎてわからないことが多いので、明治六年に十一兼題、神徳皇恩、人魂不死、天神造化、顕幽分界、愛国、神祭、鎮魂、君臣、父子、夫婦、大祓なビ神道方面の考究と倫理道徳が強調され、更に十七兼題、皇国国体、皇政一新、道不可変、制可随時、人異禽獣、不可不教、不可不学、外国交際、権利義務、役心役形、政体各種、文明開化、律法沿革、国治民法、富国強兵、租税賦役、産物制物など公民教育的な課目も含まれるなどして、教導職の知識啓発を図った。
この三条の教則を頭に入れて教導職は新政府の主義主張綱領などを人々の頭の中によく呑みこませ政府の出している種々の政策の実行を容易にしようとするものであった。
しかし教の教導職は独自の教義を説くことは許されずに、明治六年には中山法華経寺の僧侶が鬼子母神を開扉し、法楽加持をしたため県当局より注意されたり、自説を説いた本願寺派の僧侶が免職されるなどしたため、仏教僧侶の不満は日毎にたかまった。
この反面、大院が発足すると共に新居日薩は朗惺寺日因と共に師を申しつけられ、十一兼題についての試験官として地方巡するなど活躍した。
しかしキリストの伝播、自由主義の抬頭によって説教の自由、信教の自由を求める声が高くなり、ついに明治八年四月に神仏布教差止めの命が発せられ、合同布教はわずか三年で終った。

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