富士一跡門徒存知事
富士一跡門徒存知事
ふじいっせきもんとぞんちのこと
徳治元年(一三〇六)白蓮阿闍梨日興(一二四六-一三三二)の著と伝えられているが、今日の学界では日興滅後、五老との対立が表面化した富士門流の五一相対の立場より書かれた『五人所破抄』等と共通で、日興の名に仮託して作られたものとされている。
その文面の熾烈なことはよく知られ、逆に同門の分極化への抑止の内容とも理解される。
日蓮聖人本弟子六老の事、日興本六の事、聖人御影の事、聖人御書の事、本尊の事、本門寺を建つ可き在所の事、王城の事、日興集る所の証文の事、寂仙房日澄の事、摩訶一の事、天目の事、真間堂一体仏の事、民部日向等の四菩薩の事等が書かれている。
なお、本書の成立年について、山上弘道氏は「正和二年(一三一三)以降、元亨三年(一三二一)以前成立」説を唱え、川﨑弘志氏は「正安三(一三〇一)年成立で、本文・追加分とも日興作と考える」と主張する。
『宗全』二巻所収。
《『遺文辞典』歴史篇「富士一跡門徒存知事(ふじいっせきもんとぞんちじ)」の項、『日興門流上代事典』「富士一跡門徒存知事」の項、川﨑弘志「『富士一跡門徒存知事』成立年に関する一考察」『法華仏教研究』二二号、山上弘道「『富士一跡門徒存知事』について」『興風』一九号 》