三好氏
三好氏
みよしし
中世の武士。
阿波国(徳島県)の守護に任ぜられた小笠原氏の支族で、同国三好郡(現・東みよし町)に居住したものの子孫と伝える。
室町時代に阿波国の守護職となった細川氏の家臣となり、戦国時代には家宰の地位を得た。
三好長慶(一五二三-六四)のときが全盛で、主家である管領細川氏の衰退に乗じて幕政の実権を握ったが、まもなく長慶の家臣松永久秀に実権を奪われ、義継のとき織田信長に滅ぼされた。
三好氏は日蓮宗を信仰し、その台頭によって京都の日蓮宗寺院が興隆したため、天文法華の乱が引き起こされたときには、その原因を三好一家の繁栄に伴い、三好氏が檀那である日蓮宗が興隆しすぎて、他宗に狼籍を働いたので山門の衆徒らの反発を招いたのだ、とする噂も流された。
また長慶の弟で河内に勢力を振っていた三好義賢入道実休や三好一族の十河・海部両氏およびその家臣の多くが仏心院日珖に帰依受法していたため、実休の子で阿波国主であった三好長治は、真言・禅宗の盛んであった自国に「阿波法華」を形成しようとした。
これは「阿波一国の衆、生れ子まで日蓮宗になし、法華経をいだかせ、他宗の寺へ出入することを許されず」(『三好別記』)という強力な外護のもとに進められようとしたが、他宗僧侶の反発、国主長治の死亡によって、ついに挫折せざるをえなくなった。
《宮崎英修「三好長慶・実久兄弟のこと」『続・日蓮宗の人びと』、『国史大辞典』一三巻「三好氏」の項》