妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

大阪会式布教

おおさかえしきふきょう #1383

大阪会式布教

おおさかえしきふきょう

大阪寺院の御会式は南部、北部の両組に分かれて、一一月中に行われた。
二〇数日の日程であった。 連日、法要が行われ、その後に予め決定されていた布教師によって登高座説教がなされた。
一一月に行われたというのは季節的に適当であることと、また、大阪の商習慣として「誓文払い」という大売り出しが全市的に行われているのを避けたともいう。
この御会式法要は毎日午後一時に開始され、その地区の住職には出席義務があって、欠席は絶対許されなかった。 真に止むを得ない場合は、他地区の住職に代出席を懇請したのであった。
色衣五条を着用したが、全部ユニホーム式で統一されていた。 布教師は南北両組の二名が招聘された。 百部経布教師の選定の場合と同じく、毎年一月一五日の総会で、それぞれの縁故寺院を通じて申込みを受けていた布教師について、投票を行い、二人の布教師を選定した。
この御会式布教師として声名を得れば、次には百部経布教師に立候補することができるとあって、知名の布教師が競って申込みをした。 大阪の百部経布教師を務めれば、日本一流の布教師といわれ、その登竜門としての会式布教はそれなりに高く評価された。
招聘された二人の布教師は抽選によって、南北両部に分かれて務めた。 残存日割表によると、南部の方が日数として多かった。
公平を期するという意味で、二人の布教師にあげられた信者からの浄財(御菓子料と称された)は双方合計し、それを折半して分けるという方法がとられたこともあった。
昭和一九年(一九四四)をもって、それまでの制方式は終りを告げた。 戦争がきびしくなったからである。
現在では、各寺単独、または数ヵ寺連合して、一〇月または一一月に奉行されている。

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