塚原問答の弁
塚原問答の弁
つかはらもんどうのべん
繰り弁の一つ。
文永八年(一二七一)九月一二日(竜口法難)の後、一〇月二八日、日蓮聖人は佐渡に流され、塚原の三昧堂の荒屋に入れられた。
佐渡では唯阿弥・生喩房・印性房等を頭領とする多くの僧侶が集まり聖人を殺害しようと謀った。
しかし殺してはならぬという地頭本間重連の命もあり、それならば法論をもって日蓮を屈伏させようと、越中・越後・奥州方面の各宗の学僧の聞えある人々に呼びかけて渡島を請い、その僧達の来島をまって翌文永九年一月一六日、配所塚原三昧堂前の庭で問答した。
所詮は聖人の相手になることはできず、散散に敗退した。
これを塚原問答という。
これを「音に聞ゆる阿弥陀仏の大怨敵、薬師如来の仇、一切衆生の悪知識、この佐渡へ流されるこそ幸」といった調子の弁で説教した。