十五壇法
十五壇法
じゅうごだんほう
一五壇の秘法といわれ、承久三年(一二二一)後鳥羽上皇が北条氏討伐を祈念し、関白基通の沙汰として調伏の法を修した時の修法の数。
一字金輪法・四天王法・不動明王法・大威徳法・転輪聖王法・十壇大威徳法・如意輪法・毘沙門法・如法愛染法・仏眼法・六字法・愛染王法(愛染明王法の略称)・不動法・大威徳王法・金剛童子法の一五壇をいう。
聖人はこの修法の効験がまったくないのみならず、主謀者の後鳥羽上皇が隠岐ノ島に、反乱に消極的であった順徳・土御門両上皇も佐渡ケ島、土佐ノ国に流され、更に四歳の仲恭天皇も退けられ、後堀河天皇が皇位についたことを、非常な疑問とされている。
『真言見聞』『神国王御書』『撰時抄』『法華本門宗要鈔』等にみえる。
《『遺文辞典』歴史篇「十五壇法」の項》