妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

佐久間氏

さくまし #592

佐久間氏

さくまし

藤原氏の流れをひく上総夷隅郡の領主で、興津妙覚寺や小湊誕生寺を開創し、外護した檀越
誕生寺二世で中老僧の寂旦房日家(にけ)、妙覚寺二世で中老僧の美作房日保(にほ)が、このから出ている。
佐久兵庫亮重吉に三子があり、長男を十郎左衛門重貞、次男を平次左衛門重則、末を竹寿麻呂(のちの寂日房日)といった。
重貞が父の後を継ぎ、深く教に帰依して邸の傍に草堂を建て釈尊を祀っていた。
文永元年(一二六四)、日蓮聖人が帰省し、母が病で逝去したのを祈りによって蘇生させたことを聞き、重貞が聖人を自邸に招いて敬待した。 聖人は草堂で一〇日間説法し、一家はことごとく聖人帰依し、重貞はその子の長寿麻呂を出家させて聖人の弟子とし、日保と名づけられた。 そのとき、重貞の弟の竹寿麻呂もこれを見て羨望し、自ら出家を願い出て叔甥ともに出家した。 のちの寂日房日である。
聖人の晩年、二人は小湊に草堂を構え、誕生寺と号し、聖人を開山とし、日家が二世、日保が三世となった。
また興津の佐久の邸跡を寺として妙覚寺と号し、聖人を開山とし、日保が二世となり、日家が三世となった。
日保の弟子の一人で誕生寺の第五世の日承は、重貞の弟重則の子という。

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