風間信昭
風間信昭
かざまのぶあき
(生没年未詳)
信濃守とも、越後守ともいう。
聖人滅後、日昭に帰依した檀越。
日昭の鎌倉を中心に、更にその門流の越後へ教線を伸ばす礎となった。
信昭の昭の字は師の一字を授けられたという。
当時、越後の在地領主として直峰城(新潟県上越市安塚区)に拠り、鎌倉府内での役割は明らかではないが、鎌倉郊外の名瀬に屋敷を構えて出仕していた。
聖人の二十五回忌に当り、発願して屋敷に法華堂(横浜市戸塚区・名瀬妙法寺)を創建し、これが浜の法華寺と共に日昭門家の鎌倉における教線の根拠となった。
のち、自領内の弘通を深く思い、師に懇願して許しを得、弟子日成と協力して村田へ妙法寺を移した(新潟県長岡市村田・妙法寺)。
村田は彼の誕生地であり、弟の村岡三郎の居城であった。
これによって北越方面の教化は著しく浸透していった。
日昭寂後、信昭は幕府の滅亡、建武の新政、尊氏の挙兵と変革激動する中で、新田義貞の配下、越後の一武将として殉じた。
《「日昭上人外護の風間信昭について」『研究時報』一四号、『日蓮聖人補処位の人日昭』》