細草檀林
細草檀林
ほそくさだんりん
富士派と八品派との合同学問所。
上総細草村に遠霑寺と併設さる。
寛永一八年(一六四一)に大沼田檀林に学んでいた学徒の間に諍論が生じ、退檀した学徒が鷲山寺の学匠日達に新檀林創立を請い、境内地に学舎建立を企てたが資金がなく挫折した。
時に大石寺末法詔寺の顕寿院日感は、これを憂い資金を外護者蜂須賀忠英の母敬台院日詔大姉に仰ぎ、地を細草の八品の住本屋敷と市東内山の村民の寄進により、八品の伝了日崇の協力を得て寛永一九年六月三日、能化に日達を迎えて法雲山遠霑寺と号し檀林を創設した。
東西八十余間南北百歩余の寺域と学舎二十余軒を有する小規模の檀林であった。
最盛期は天和より寛保にかけてで、常住でないにしろ学板には七〇〇名の学徒が載っていた。
寛政八年(一七九六)に火災を被り学舎が殆ど焼失。
学徒も離散し、玄義文句は十数年開講されることなく天保年間(一八三〇-四四)はまさに廃檀寸前の状態であった。
時に久遠院日騰、諸山の助力を得、復興に力を注ぎ、玄文を開講し、寺域を整備したが旧に復する迄に至らず、明治初年廃檀となった。
《「細草檀林資料」『富要』八巻》