種子島時堯
種子島時堯
たねがしまときたか
(一五二八-七九)
初め直時といい父は一三代島主恵時、母は島津忠興の娘。
天文一二年(一五四三)一五歳で一四代島主となる。
同年八月二五日種子島南端西之村小浦の浜に異国船が漂着し、そのポルトガル人から鉄砲二挺を二〇〇〇両で買得す。
時堯は鉄砲の模造と火薬の製法に成功した。
彼はこれを私有にせず天下に公開した。
戦国乱世が以外に早く鉄砲の新兵器で統一平和になったのは時堯の功といえる。
大正一三年(一九二四)時堯は兵事に貢献したと正四位が追贈された。
永禄六年(一五六三)種子島家の菩提寺の法華宗本源寺を、一子時次の早逝供養のため坂の下より現在地に移転改築した。
遠く琉球とも交易す。
天正七年(一五七九)没。
五一歳。
《『国史大辞典』九巻「種子島時堯」の項》