ひゃくざのせっぽう
日蓮聖人の『立正安国論』献上に対して、幕府はこれを黙殺して何の反応も与えなかった。
しかし、これが契機となって官僚的な鎌倉の諸大寺の謀略の手が日蓮聖人の上に襲いかかってきた。
即ち安国論献上の四〇日後の文応元年(一二六〇)八月二七日に松葉谷の焼打ちとなって現れた。
日蓮聖人は身をもって、わずかに逃れ下総若宮の館(千葉県中山)に入った。
ここで富木常忍らの外護によって、日日説法教化に従事した。
これを百座の説法といい、秋元太郎、太田左衛門の入信、後の六老僧の一人、伯耆房日興の帰信もこの百座の説法によるという。