二間寺(廃寺・安房国)
二間寺(廃寺・安房国)
ふたまでら
千葉県安房郡(現、鴨川市)に所在した。
清澄山の南方、六―七里のところ、天津の二間浦のあたりにあったという。
現在も清澄山の東北から南流して海へ注ぐ二間川や、国鉄安房天津駅の近くの海岸を二間浦(海岸)と呼ぶなど、二間の地名は残っているが、寺院跡等については明らかではない。
日蓮聖人遺文には『清澄寺大衆中』に「清澄・二間の二箇の寺」(定一一三五頁)、『別当御房御返事』に「二間清澄の事」(定八二七頁)とあり、清澄寺と密接な関係にあって、領家の尼と東条景信との間に、この二ヵ寺の帰属支配をめぐる争いがあった。
聖人は、父母や自分が恩恵をうけた領家の尼に味方して尽力し、もしニカ寺が東条の方につくならば法華経をすてるとまでの決意をこめた誓状を本尊の手に結んで祈るなどして、一年以内に領家側を勝訴に導いた。
このため東条の恨みをかい、文永元年(一二六四)の小松原法難の一因となった。
《『遺文辞典』歴史篇「二間(ふたま)」の項》