汎神論
汎神論
はんしんろん
存在する全て(人間ならびに自然)は神であるとする説。
ギリシャ思想では現象の背後に神的実体が考えられていた。
タレスやアナキシメネスが宇宙の実体として考えた水や空気は神的なものであり、プラトンが現象の背後に置いたイデアも神的なものと考えることができる。
プラトンは哲学的叡智を媒介として、感性的現象世界を離れ、神的なイデアの世界に到達しようとした。
キリスト教は神・人間・自然を区分する故に、汎神論と立場を異にする。
しかしキリスト教へのギリシャ思想の影響は神と人間の一体を目的とする神秘主義的教説を生んだ(エックハルト、スピノザ)。
ヘーゲルにもギリシャ的世界観の影響が強く、世界の弁証法的展開を神自身の展開とする汎神論的思考法が見られる。
インドのウパニシャッドにおいては、宇宙の本質を梵(ブラフマン)と考え、人間の我(アートマン)は本来、梵(ブラフマン)とひとつであるとする(梵我一如)。
仏教では思想的には神と関わりをもたないという観点からは、汎神論とは無縁であるとはいえ、如来蔵思想のように神と仏を置き換えた形態での汎神論がみられる。
仏教の汎神論には次の二形態がある。
(1)仏および一切の現象の間に実体的区別をたてない空の論理が徹底されると、天台のように非情を含む現象的事柄全てが仏であるとする考えに至る(性具説)。
これに対して、(2)現象と区別された本質に仏性をみる華厳の立場がある(性起説)。
一般に汎神論には現象世界そのものを神とする見方(汎宇宙論Pancosmism)と、現象世界の背後にある本質を神とする見方(無世界論Acosmism)に分けることができるが、華厳と天台との考え方は右のそれぞれに相応するといえよう。
汎宇宙論では神的なものと現象世界を対立的に捉えない故に、理念を求める行為が生じ難い。
汎神論には自己肯定的、静的な生き方に結びつく傾向性があり、キリスト教におけるように、神と対立の下に生ずる緊張関係が欠如している。
《『岩波仏教辞典』「汎神論」の項》