日長(円覚院)
日長(円覚院)
にっちょう
(-一五一三・二一-一六一一)
日澄と称していた時期もある。その時期については日長と称した以前と晩年との二説がある。円覚院と号す。
甲州(山梨県)巨摩郡に生れる。
身延山第一七世慈雲院日新の門に投じ出家、学成って師の命をうけて京都妙華寺に住す。
次いで甲州小室徳永山一七世になり、更に請じられて駿河(静岡県)感応寺に晋む。
慶長七年(一六〇二)米子城主中村忠一の招きに応じ、伽藍を寄進されてそこを常住山感応寺と号した。
日向を開山に仰ぎ、二世を日朝、自ら三世となって寺門経営に当る。
後に弟子日陽が紀州(和歌山)に感応寺を建て、ここに駿州・伯州・紀州の感応寺を法華三感応寺と称されるようになった。
日長は後に雲州(島根県)に遊化して啓運山慈雲寺を創立。
ここに師日新を開山に迎えた。
師孝の人日長の面影がうかがわれる。
慶長一六年五月一三日九〇有余歳で示寂。
《『日本仏教人名辞典』「日長」の項》