日運(乗体院)
日運(乗体院)
にちうん
(一六三一-一六八六)
字は尊周、乗体院という。
俗性は源氏、六条家宰相有純の五男に生れる。
後本国寺一七世鷲峰院日桓(一五七八-一六四四)の室に入り飯高檀林に学ぶ。
その才覚を認められ菊亭家の猶子となり、京都本国寺一八世を継ぎ僧正に任ぜられる。
寛文九年(一六六九)日運は越後三条本成寺を末寺であると訴え、数回にわたる対論を江戸の奉行加賀爪直澄の館で行う。
当時鳥越法詔寺日精に直澄が証拠書類を求め、その結果本末の関係がないことが認められ、本成寺は無本寺となり、日運は退院を命ぜられ洛東葉山に隠栖する。これより葉山の僧正の名がつけられた。
退院こそさせられたが、摂関家、皇室にまで法華経、宗義の進講を広げた一人であり、その功は大きい。
貞享三年一一月二五日示寂する。
門人に村田妙法寺日遑、小松原鏡忍寺日解らがある。
《『日本仏教人名辞典』「日運」の項》