日承(京都本能寺)
日承(京都本能寺)
にちじょう
(一五〇一-七九)
後伏見天皇七代皇孫、伏見宮邦高親王の王子で文亀元年に生る。
初め天台宗三千院の梶井門跡で出家、幼少の頃法華宗本能寺に入る。
天文五年(一五三六)本能寺日侶より金剛院号を受け、天文一二年四三歳本能寺貫主となる。
在職三七年その間天文法難後の本能寺を天文一四年四条西洞院に再興し、僧侶の説教を規制した「転輪法度」を始め本能寺僧の勤行を規制した「法度三ヶ条」、『法華経略談抄』を七冊に収め、法華経全巻の講説を元亀三年(一五七二)七二歳の時四四帖に脱稿するなど教学の研鑽にも努め、また「永禄規約」を主唱し各本山の協調を得たり、遠く種子島、下関、越前等を巡教し芳蹟寺院を残し、本能寺、本興寺へ菊紋章使用が許される等、宗門内外の興隆発展に寄与された功績はまことに甚大である。
天正七年七九歳寂、権大僧都法印。
本能寺中興。