日成(明珠院)
日成(明珠院)
にちじょう
(-一四一五)
明珠院と号す。
紀州桃井氏の出で日実の俗弟でもある。妙顕寺朗源に師事し、日実は兄弟子に当る。
さて朗源寂(一三八七)後、後任未定のため、宿臈等が相議して候補者として通源(日霽)・日実・日成の三名を選んだ。
衆議が一致しないため、仏前の御鬮(みくじ)に任せ、異議を唱えない旨を起請したが、鬮は三度共に通源に下った。
そこで日実・日成は妙顕寺を退出して小野妙覚の外護のもとに妙覚寺を創して分立した。
日成は像門正嫡意識をもって日像・大覚・朗源・日実と系譜して自分を第五世(但し祖師・日朗を上に加歴して第七世)と位置させた。
また通源や月明の行動を見守りその化儀の紊乱には強い批判をもっていた。
応永二〇年(一四一三)六月一三日、日成は『妙覚寺法式』(応永新条目)を定めて厳粛な化儀を妙覚寺一門の法度とした。
他宗の堂社への参詣を禁じ、謗法供養の受不と謗者への施不を主眼とし、日遵(第八世)と日延(第九世)が連署している。
日成寂は応永二二年。