日俒(賢聖院・中山法華経寺)
日俒(賢聖院・中山法華経寺)
にちごん
(一五一五-一五九八)
賢聖院と称す。中山法華経寺一〇世の貫首として、戦国時代の困難な状況の中で、寺院の維持発展につくす。
特にこれまで本妙寺・法華寺の両寺一寺制をとっていたものを「妙蓮山法華経寺」として一寺に合体した功績は大きい。
また中山法華経寺の末寺を訪れて盛んに法会を興し、本寺と末寺の関係を緊密化し、江戸時代に本末関係を整える基礎をつくった。
しかしながら乱世における寺院の疲弊は覆い難く、遂に日蓮聖人の聖教の一部流出を招くに至った。
このため日俒は貫首を退き、千田庄中村(千葉県多古町)日本寺に隠栖した。
慶長三年(一五九八)五月二九日寂。寿八四。