日乗(満蔵法印)
日乗(満蔵法印)
にちじょう
(一二七〇-一三八〇)
満蔵法印と呼ぶ。
能州滝谷妙成寺二世。石動山大宮房に住し、天平寺の上首であり、加越能三州の部将であった。
永仁元年(一二九三)日像は佐渡霊跡巡拝を終えて七尾港への船中、法印と同船、問答となり遂に法印は日像に帰伏した。
日像は法印の案内で石動山に折伏し、満山の宗徒に逐われて滝谷に脱れ、土豪柴原法光の帰依を受けた。
都に急ぐ日像は杖を岩間に挿して「我に所願あり、杖芽を出さば、此の地に一寺を建立せよ」と告げた。
果して杖は槐(えんじゆ)の木の芽を出し、法印はこの奇瑞によって一寺を建立、日像を開山と仰ぎ妙成寺と号したという。
また柴原法光を開基と仰ぎ大いに宗風を振い、弟の妙文も兄の勧めで日像に帰依し、越前に法華を弘通した。
康永元年(一三四二)二月、京に登り、日像により祝髪受戒、日乗と名を賜わり、同月一六日、本尊を授与された(勇猛日麑『龍華年譜』)。
日像滅後三九年、康暦二年六月二七日、朝勤終って唱題裡に坐脱した。
寿一一〇歳。
「瑞徳不思議なる上人」と崇められ、命日は奇合会(きごうえ)と称して、毎年上人を称える大祭の一つとなって今日も行われている。
《『日本仏教人名辞典』「日乗」の項》