さえもんしろうみつなが
『富士一跡門徒存知事追加』並びに『身延山史』によると「甲斐国下山の地頭左衛門四郎光長、日蓮聖人の弟子で、遷化の後、日向上人を師としていた。
永仁年中(一二九三-九八)に新堂を建立し、一体仏を安置し、正安二年(一三〇〇)日向上人が開眼供養した」という。
また宮崎英修氏著『波木井南部氏事跡考』の中の、『棲神』二六号に所載する塩田義遜発表の系図に「波木井実長の子に長義あり、その子の一人に光長」とある。
下山という地の地頭、生存した年代等からみて、先の新堂を建立した光長とこの波木井実長の孫とは同一人物と思われる。
《『宗全』二巻、『身延山史』、宮崎英修『波木井南部氏事跡考』》