堀内良平
堀内良平
ほりうちりょうへい
(一八七〇-一九四四) 山梨県東八代郡(現・笛吹市)に生る。
努力困学、明治三二年(一八九九)三〇歳にて黒駒郵便局長となり、爾来衆望を荷い、政財界に進出し、衆議院議員三回当選、民政党総務、政調会委員、山梨支部顧問に選ばる。
実業界においては特に運輸、地方開発事業に力を注ぎ多方面に活躍したが、就中身延鉄道、東京乗合自動車(青バス)、富士山麓電鉄の運行は大功績であって、先駆者として仰がれた。
堀内家は山梨県の旧家で、遠く弘安五年(一二八一)聖人池上への途次御一泊の家と伝承されている。
良平は信仰心厚く、特志信徒として生涯宗門並びに身延山に丹誠された。
人となり温厚篤実で、家運また栄え児孫それぞれ政財界に活動中である。
生前浩庵と号した。
身延山寺平の同家墓地に埋葬されている。
《『国史大辞典』五巻「甲州財閥」の項》