妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

瑞龍寺移転

ずいりゅうじいてん #4137

瑞龍寺移転

ずいりゅうじいてん


昭和三四年(一九五九)一一月三〇日付、瑞竜寺代表役員九条日浄尼公による日蓮宗宛、離脱通告に端を発するものである。
望月内局は信の自由の原則に立って検討すると同時に宗門唯一の門跡寺院の保全を希求して、尼公の親族代表二條、梅谷らの諸氏と語らい、その翻意に努力した。やがてこの離脱通告に伏在した、瑞竜寺の全財産が抵当物件となり、その代物弁済期限が切迫していた事実が判明した。なお手続きに不整があったので、急遽九條尼公の住職を罷免し、布施浩岳を特選代務住職、美馬鳳準新聞部長を代表役員とする新役員を選定した。問題解決に当った結果、代物弁済期限の二日前にこれを防止した。
門跡寺院保全の方途を練ったが、尼公とそれを取巻くグループとの物心両面の結び付きが強く分離対処が可能な事情から、門跡寺院の存続のため尼公の旧債処理等を容れた移転再建案と、尼公の復権を認め、翌三五年一〇月七日和解が成立した。これに基づき明けて三月一日西武鉄道(株)と瑞竜寺の再建(村雲と最も因縁深い関白秀次の居城近江八山項を寄贈移転)を根幹とする土地売買が契約された(因みに売却金額は都市銀行の鑑定による一億三六三五万円なり)。
こうした折、日浄尼公は関係グループと謀り代表役員の職務停止の仮処分の挙に出た。
この新たな紛争は前回の如き単なる財産問題とは異なり、宗内抗争の様相を濃くし、宗政上の諸問題との関連を強め、一〇件に余る訴訟が起る等折角の和解は内外より毀されて、瑞竜寺当局はもとより、望月内局、これに続く加賀美内局は宗務全般に亘って大きな影響を蒙ったが、加賀美内局及び瑞竜寺当局の、早期解決の決意によって、昭和三六年一一月三日漸く第二回の和解が成立した。
よって契約に基づき売却金を折半し、尼公の旧債の返済と運営費及手元金に当て、残りをもって紛争処、訴訟解除、並びに近江八、嵯峨両寺の再建を行い、翌三七年一二月近江八山上に諸堂の移築が完了、翌春落慶式を挙行、嵯峨別院も完成したが、第二次紛争のため瑞竜寺の財政は圧迫された。
なおこれに先立って同三七年九月二〇日尼公の急逝という不測の態が起り、その後董は門跡という特殊性に鑑み、同四二年一〇月に至り布施住職徒弟小笠原日英尼が任命を受け就任今日に至っている。

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