法華講談千座
法華講談千座
ほっけこうだんせんざ
近世中期の説法者・安国日講(一六二六-九八)は佐土原(宮崎県)へ寛文六年(一六六六)に配流された。
配流の地で藩士や神主等の懇望によって、漢籍や神道の書などを講述した。
これが縁となって、寛文八年一〇月、領主島津飛弾守忠高に向って開講方を訴願したのがこの法華講談千座である。
なかなか許されなかったが、五年後の寛文一三年一一月許容され、一五日から開講された。
だいたい毎日一座あるいは二座を講じ、延宝三年(一六七五)一〇月二日をもって合計八一〇余座となった。
日講は佐土原流謫前から法華経の講説を行っていたが、その数と合算して計一〇〇〇座を成就したのである。
日講は「心中慶幸絶言語」と喜び、講説に列した聴衆に饗応し、毎講のときの通りに仏前に香華燈明を備え、礼盤に登って、草木成仏の法門を談じた。
そのありさまを、さながら「似再演法華儀式」と悦んだと伝えられる。
近世中期法談の代表的なものとされる。