本間三郎左衛門直重
本間三郎左衛門直重
ほんまさぶろうざえもんなおしげ
(-一三二九) 山城入道・本間六郎左衛門重連(-一二九六-)の一族。
日蓮聖人の文永八年(一二七一)九月一二日の龍口法難の際、聖人の威厳と霊験顕著なるありさまをみて恐れをなし、ただちに念仏をすてて聖人に帰依した。
その後重連に従って佐渡に入島。
時に日野黄門資朝が佐渡に配流されて来た。
鎌倉幕府から守護代の重連に資朝を殺せという命が下され、直重が資朝を斬った。
しかし資朝には阿新麻呂という一三歳になる子供がいた。
阿新は父を斬った敵として直重を狙い、ひそかに寝室に入って、元徳二年(一三二九)五月一二日に刺殺した。
直重にも少年になる子供がいた。
少年は同島にある一谷妙照寺の日静のもとに行き、生前父が日蓮聖人を慕い、出家して徳を報ずることを最大の願いとしていた。
今、父に代って私が出家したいと願い出た。
日静は少年が阿新にうらむ心のないことと、出家の志に感慨し、少年を剃髪した。
日静は少年の父、直重に浄観房日賢と授け、少年には学優房日明と名づけた。
日明は妙照寺の二世となると共に、本間重連が同島に建立した松栄山実相寺を附された。
しかし日明は、重連を崇めて開山と仰いでいる。