久昌院夫人
久昌院夫人
きゅうしょういんふじん
(一六〇四-六一)
久昌院心周日匀と号し、名を久子という。
卒去後靖定夫人と諡された。
久昌院は佐野修理大夫藤原信吉の家臣谷左馬之介重則の娘で、水戸初代藩主頼房の側室となり、讃岐高松藩主頼重並びに水戸二代藩主光圀を産み、高瀬の局と呼ばれた。
久昌院の周囲には父を始めとして義母養珠院夫人、光圀の養育に当った三木之次の妻武佐など、熱心な法華信者がおり、夫人もその影響を受けたと思われ、『久昌寺記』によれば、飯高檀林の能化を務めた禅那院日忠に帰依したとある。
夫人は寛文元年一一月一四日没するが、光圀は生母の菩提のために一寺建立を思い立ち、延宝五年(一六七七)生母の法諡号に因んで靖定山妙法華院九昌寺を建立した。
一方、長兄頼重もまた高松に広昌寺を開いて母の菩提を弔らった。
これはあたかも徳川頼宣・頼房の兄弟が、生母養珠院のためにそれぞれ寺を建立したのと相並んで、まことに孝志を尽くした好一対をなしている。