日隆(刑部阿闍梨)
日隆(刑部阿闍梨)
にちりゅう
(一二六五-一三三四)
字は長栄といい、刑部阿闍梨と号す。
父は工藤左近丞吉隆である。
吉隆は天津(千葉県鴨川氏)の領主で当国における日蓮聖人の有力な檀越であった。
文永元年(一二六四)一一月一一日彼の招きに応じて赴く途中、東条景信とその一味の襲撃にあって、聖人は頭部に疵をうけ、弟子鏡忍房は戦死、他の二人は重傷を負い、急を聞いて駆けつけた吉隆も戦死するに至る。
これが東条の法難(のち小松原法難という)である。
さて吉隆が死去した翌年、吉隆の妻は男児を出産。
吉隆は生前男児が生れたならば、聖人の門に投じることを心に決めていた。
妻もこの遺言を守り遺子長栄を聖人の門に入れて出家させたが、これが日隆である。
日隆は後に父吉隆の殉教の地に伽藍を興し、鏡忍房日暁を開山、父妙隆院日玉を第二世、自らは第三世となって妙隆寺を創立、後に鏡忍寺と称されるようになった。
日隆は建武元年一一月一日七〇歳で示寂した。
《『日本仏教人名辞典』「日隆」の項》