日陽(正覚院)
日陽(正覚院)
にちよう
(一五八六-一六四三)
正覚院と号す。
『本化別頭仏祖統紀』(四三四頁)によれば、伯耆国(鳥取県)感応寺開基・円覚院日長の門人で、駿河国(静岡県)感応寺第一三世として寺門を支える。
元和元年(一六一五)徳川頼宣が紀伊(和歌山県)に移るにおよんで、日陽は頼宣とその母養珠夫人(お万の方)の屈請を受け、当地に入る。養珠夫人から境内一万坪を受け、頼宣からは堂塔伽藍を寄進されて、日陽自ら開山となって常住山感応寺と号す。
後に九ヵ坊を有し南海身延と称され、ここに法華三感応寺(駿河・伯耆・紀伊)といわれる雄刹となった。
日陽は寛永二〇年一一月九日この地に寂す。世寿五八歳。
《『日本仏教人名辞典』「日陽」の項》