日詮(山光院)
日詮(山光院)
にっせん
(-一五七九)
山光院と号す。
壮年にして奈良や比叡山に遊学し、唯識と天台教学を研讚する。
著書に『科註拾塵抄』一八巻『四教儀詳解』四巻があるが、特に三井にあるとき衆徒の懇望により著した『四教儀詳解』は世に珍重されたという。
のち道友の仏心院日珖(一五三二-九八)、常光院日諦(-一五八五)と計って堺妙国寺に諸寺僧のために『法華文句』を開講した。
三人が毎日輪番講主を務め、講主を一定しなかったので、人呼んで三光無師会または三光勝会といった。
この三光という呼びかたは日珖・山光院・常光院と珖・光の音の通ずるところから出たものである。
会下には日雲・舜孝・尊秀・哲境・日千・日諝らの英才を輩出した。
講義内容については、日諦の門人日厳が講録二五巻にまとめ、これを『文句無師』または『三光無師書』と名づけたものがある。
天正七年七月二五日遷化。寿不明。
《『日本仏教人名辞典』「日詮」の項》