にちげん
(-一六五七)
字は通遠、即如院と号す。
世相を厭って出家し、小西檀林に遊学した。
日眼には強力な外護者として、小堀遠州の妻であり土州政武の実母である三沢女がいた。この三沢女は将軍家綱の幼時の乳母である。
明暦元年(一六五五)、三沢女は臨終に際し日眼を招き、自分が生前に果たせなかった新寺造立の至願を日眼に託して没した。
この遺言を承けて、東都深川に私寺として、のちの法苑山浄心寺を建立し、日眼が開山となった。
明暦三年、浄心寺は家綱により官許されるが、日眼は病を得て同年一二月二一日、門人の覚性院日通を後継者として遺命し、坐して唱題の内に寂した。