日朝(本果院)
日朝(本果院)
にっちょう
(一三九四-一四六六)
青蓮阿闍梨、本果院と号す。
日朝は八品門流において、その教線を関東に初めて広め、拡張した人。
法華宗においては法運中興と称せられている。
日朝は明徳四年に山梨休息に生まれる。
休息山立正寺六世日位に随身したが、九歳の時に岡宮光長寺に入り四世日賢に師事した。
日朝が岡宮に上ったのは当時、休息立正寺、小立妙法寺、常在寺など日法(光長寺二祖)に係る寺院として互いに通用していたからである。特に岡宮と休息は同寺格、同規模を有し山内各坊も互通の関係があった。岡宮にあっては東之坊(五世)に住し、光長寺学頭として布教研鑽に務め、一方では七〇有余人の弟子を養成して大いに教線を拡張した。
日朝は応永一七年(一四一〇)に湯船本蓮寺を創建してより、中丸蓮静寺・神山本国寺を開いて、正長元年(一四二八)に休息山七世の法灯を継承したのである。その後、長窪蓮華寺・宇佐美安立寺を建立した。
また弟子たちも教線拡張に力を注ぎ、日東は本蓮寺・日明は蓮静寺を托され、日寿(蓮静寺三世)は須走に蓮長寺を開いた。
日朝の布教法は教学理論の弘通よりも、直接民衆の中での布教活動、即ち悩み、苦しむ人々の中で安産・病気・災難等の祈祷を通して布教の効果をあげたが、この様な伝承が日朝関係の寺院に多く伝っている。
日朝の著書は『台当異目深密抄』がある。
永享七年(一四三五)に上洛して、本能寺日隆と会見した、後にこれを東朝西隆の古事という。
文正二年一〇月二五日休息で遷化。
七三歳であった。