日建(西山本門寺)
日建(西山本門寺)
にちごん
(-一五七七)
西山本門寺第一二世。
晋山した時、重須・西山の両本門寺は係争中であり、要法寺広蔵日辰が、西山の開山日代を重須の歴世に列することによって和融の道を開こうとしていた。
永禄元年(一五五八)一一月七日、日建は日辰からこの線での両山通用を勧められている。
しかし重須では日代を歴世に加えることを拒否したため、日辰による和融の斡旋は打切られた。
この後、西山日心の弟子妙円坊日春は、日辰が条件とした日代の重須加歴を引っ込めて西山の和融を試みたため、永禄五年四月一〇日、日建は西山の大衆を引率し、両山の中間にあたる粟原口の東河口に行き、日出率いる重須側と共に盃をとり談合をはかり両山の和融を成立させた。
天正五年七月一四日入寂。
《立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、『富要』、富谷日震『日宗年表』》