日巡(寿量院)
日巡(寿量院)
にちじゅん
(-一八四〇)字は法山、寿量院と号す不受不施派の人。
本妙院日珠の資、備前矢田村(岡山県佐伯町)延原氏の出である。
享和二年(一八〇二)備中の惣爪〈板倉〉(岡山市)に法難があり、法住院日道並びに日巡ら七名が江戸に送られ、日道・寛光院日宣・恵朝院日達・随光院日審・普光院日久・浄心院日常は獄中にて遷化、日巡は八丈島に流罪となった。
これを板倉法難、あるいは惣爪の七僧という。
ところで日巡は翌享和三年五月八日八丈島へ配流となり、六月二七日三宅島に下船、伊ヶ谷の日珠の草庵に暫時憩い、八月七日八丈島に赴いた。
在島三八年の長きに亘り、天保一一年一〇月一九日遷化、世寿は不明。
墓は同島樫立にあり、本覚院日進の墓と並んであるという。
なお日巡が文政七年(一八二四)五月吉辰に「看経講一結、女講(おなごこう)お長・おさめ・おはつら一四名連名の授与本尊が金川妙覚寺(岡山県御津町)にあり、また自筆の書状の多くが同寺に存る。
《宮崎英修『日蓮宗の人びと』》