妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日像上人由比ケ浜水行の弁

にちぞうしょうにんゆいがはますいぎょうのべん #2456

日像上人由比ケ浜水行の弁

にちぞうしょうにんゆいがはますいぎょうのべん

繰り弁の一つ。
日像は下総(千葉県)平賀の平賀忠晴の子、母は後年妙朗尼といい、上殿と称せられた。
建治元年(一二七五)七歳のとき、日朗のもとに参じ、伴われて身延に詣で、日蓮聖人に謁したが、許されて本尊を授けられ、名を経一丸と賜い、聖人の膝下にあって行学に励み、聖人臨終の際には京都弘通、宗義奏のことを委嘱された。
聖人入滅後、肥後房日像と名のり、更に日朗のもとに赴いて宗義を研鑽し、永仁元年(一二九三)二五歳のとき、遺命を奉じて京都に上らんことを決意し、所願成就と鉄石の心身を鍛錬・成満祈願のため、冬一〇月二六日(現行暦にあてれば、この年の一〇月は一一月に当る)鎌倉由井ケ浜辺に毎夜百ヵ日寒風に身をさらして「自我偈」一〇〇巻を誦し、翌年二月満行した。
この壮志を講談調の弁で話し、聴者の情感に訴えて信仰増進をはかった。

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