妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

忌明け

いみあけ #2148

忌明け

いみあけ

「きあけ」とも言う。
人は死んで後、初七日忌の秦広王を始めとして七日毎の各王と、百ヵ日忌の平等王、一周忌の都弔王、三年忌の五道転輪王までの十王によって、生前の功を裁かれて次王の縁が定まる。
その判定の資料となるものは、死者生前の積と遺族による追善仏事であると『十王讃歎抄』(定一九六六ー九三頁)にも説かれているが、この十王の裁きの内、特に尽七日忌までの間を、中有(ちゆうう)、中陰(ちゆういん)などと称して次生の縁の定まる間の大切な期としている。
そのために、この七日毎の忌日には、遺族、親類中で、故人の冥福を祈って追善の仏事を営むが、これがいわゆる中陰法要で、殊に尽七日忌は、前出の『十王讃歎抄』に「此王(泰山王)委しく人の生処を定め給へば、諸の人等面々の生処に趣くなり。 (略)是断の庭、一切の人の浮ぶ境也。 若し、跡の追善懇なれば、悪処の果転じて処に生をうく。 是故に四十九日のとぶらひ懇ろに営むべし」と示されているように、欠かしてはならない忌日で、これを満中陰(まんちゆういん)法要を呼び、この法要を終えた時を忌明けという。
なお、神道の場合の五十日などもあり、忌日が三ヵ月に亘るような風がある場合には、満中陰法要を五七日忌に繰上げてつとめる習慣もたまたま見かけるが、これは仏説などによる根拠はなく、世間交際の便宜上始まったことのようで、戦前の商家においては、毎月の月始めに主筋のお店に挨拶に出向くのが慣わしであったところから、もし自分の家に不幸があれば忌明けまでは挨拶に出られないので、二ヵ月、さらに三ヵ月も欠礼するようになっては主筋に対し申し訳ないとの配慮から、繰り上げてつとめるようになったのだという説もあり、三月(みつき)が「身付き」いわゆる、不幸が自分にとりつくことに通じるとして、避けるようになったともいう。

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