妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

三沢入道

みさわにゅうどう #190

三沢入道

みさわにゅうどう

(-一三〇九) 日蓮聖人遺文には三沢入道、三沢殿として名前が出ており、特に建治四年(一二七八)の『三沢抄』(定一四四三頁)においては、日蓮聖人の佐前、佐後の意義づけを示す遺文として重要な御書である。
そのような重要な対告者であるのにはっきりしたことがわからず『高祖年譜』や『本化別頭仏祖統紀』によって知るのみである。
これらによると、先祖は飯島氏で、飯島大郎為満が雲州亀ケ嶽にて軍功があり、功を認められて一城を構え三沢の城主となる。
このため三沢氏と呼ぶ。
鎌倉時代に入って駿州富士郡(現・富士宮市)大鹿に移り住み、この時日蓮聖人と関係が持たれたのが三沢小次郎で、一般に三沢入道と呼んでいる。
三沢入道は富士一七騎の一人として活躍をする。
日蓮聖人の載髪の弟子は約一七名いるが、それらの中の一人で、駿河地方においては南部氏、松野氏と共に重要な弟子の一人となっている。
延慶二年五月一八日に没する。
法号は三沢院法性日弘と称して、その居所を寺とした。
弘法山三沢寺と号して日朗の開祖となっている。
《『高祖年譜、『遺文辞典』歴史篇「三沢」の項、『昭和新修』別巻「三沢氏」の項

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