小早川秀秋
小早川秀秋
こばやかわひであき
(一五七七-一六〇二)
日蓮宗を信奉した安土桃山時代の武将。
幼名辰之助。
木下家定の五男で初め秀吉の養子となり、のち小早川隆景の養子として筑前、筑後、肥前を譲られる。
文禄元年(一五九二)六月権中納言左衛門督(金吾中納言と称す)、慶長二年(一五九七)養父隆景薨じ家を継ぐ。
慶長の役には秀秋総大将となり、兵一六万三〇〇〇を率いて朝鮮に赴く。
その行動軽挙のため石田三成・秀吉に讒さる。
秀吉もまたその軽率を詰問するも秀秋承服せず、よって備前備中美作五〇万石に封ぜらる。
秀秋かつて在京のおり本国寺の坊玉陽坊に日求を訪ねて教化に浴し帰依深しと伝う。
慶長七年一〇月一八日病のため岡山に没す。
遺言荼毘してのち家臣七名その遺骨を帯し玉陽坊を訪ね日求に葬儀を頼み、木像一躯建廟す。
法号は瑞雲院殿前黄門秋巌日詮大居士。
秀吉一〇〇石を寺に施入す。
ために瑞雲院を百石寺と呼ぶ。
《山田奇峰『法華名家掃苔録』、『瑞雲院寺伝』、『本化別頭仏祖統紀』、『国史大辞典』五巻「小早川秀秋」の項》