学制改革
学制改革
がくせいかいかく
明治二八年(一八九五)日清戦争後、政府が教師資格の向上を計ったのに基づき、日蓮宗においても教育制度の改新につとめた。
時の一一代管長小林日董(一八四六-一九〇五)は同年に臨時宗会を開き、全国を三大学区(一大檀林、三中檀林、宗学休)一二教区(第一区・東京・第二区・神奈川県・第三区・埼玉・茨城・栃木・新潟・群馬、第四区・干葉県、第五区・山梨・長野、第六区・静岡県、第七区・愛知・三重・岐阜・滋賀、第八区・石川・富山・福井・京都、第九区・大阪・奈良・兵庫・和歌山、第一〇区・岡山・愛媛・香川・山口・島根・鳥取・高知・徳島・広島、第一一区・熊本・長崎・大分・宮崎・鹿児島・佐賀・福岡・沖縄、第一二区・宮城・山形・秋田・岩手・福島・青森・北海道)に分け、久しぶりに中檀林で普通学を兼修することとした。
革新系の守本文静が翌二九年に京都中檀林の林長となると、思い切った新学制を採用した。
ことに僧服についは明治八年に角田堯現の案出した「畳みげさ」(青森市蓮華寺現存。
今日の折五条の最初のもの)を使用し、制服を定めて課業服(改良服の始め)と称した。