妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

天海

てんかい #1399

天海

てんかい

(一五三六-一六四三)
南光と号す。
東叡山天海大僧正。
天台宗の学匠で家康以来徳川三代の帰仰を受け家康没後、秀忠の発願により東叡山寛永寺の造営を司り寛永二年(一六二五)一一月に竣成した同寺の開山第一世となった。
生れは北会津高田、姓は三浦氏、没年は寛永二〇年。
さて寛永六年、とくに主からの供施の受不受をめぐっての永年の確執を決するため、身延側日暹・日乾・日遠らと池上側日樹・日賢ら双方六名ずつが公場対論(身池対論)した際、天海は南禅寺崇伝、儒者林羅山らと共にその判者となっている。
この裁決は対論上は池上側の優勢であったが、判決は不受側池上日樹らの配流と追放に終った。
日蓮宗不受不施派禁圧のための江戸幕府の政治的判断であった。
《『日本仏教人名辞典』『岩波仏教辞典』『国史大辞典』九巻「天海」の項》

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