みのぶぜめ
武田信玄が元亀三年(一五七二)四月十一日に身延山を攻撃したと伝える一事。
『本化別頭高祖伝』『本化別頭仏祖統紀』『七面山縁起』によって一般に知られるようになった。
『本化別頭仏祖統紀』日叙上人伝によれば「信玄は身延の地勢堅固なるを見て居城をここに移さんと欲して申し入れ信濃国に二倍の替地を約したが、時の貫主日叙の断固たる決意により拒絶され、身延を攻撃した。
だが七面嶽に神兵現れて諸将兵の眼くらみ信玄は舌根を神箭に刺されて退し陳謝した」とある。
同年正月二一日、信玄は身延を叡山復興の地にしたい旨の書状を送り不可と返信されているので身延の地を要求されたことは事実である。